【追記あり、著者逮捕】齊藤元章著「プレ・シンギュラリティ」を読んでの感想~微妙な読後感に

⇒2018年1月5日追記

本記事で話題にしている書籍「プレ・シンギュラリティ」の著者である齊藤元章氏が、自身が代表を務めるスーパーコンピュータ開発ベンチャー「PEZY Computing(ペジーコンピューティング)」を通じて、新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)から助成金を騙し取った疑いで逮捕されてしまいました。

当該記事では筆者の主張に「微妙」という言い回しで、一定の不信感を表明していました。

当該著者の評価が今後の取り調べ~裁判の中でどのようなものになるかは、未知数ですが、同著への月のマグマの感想には変化はありませんので、そのまま当記事は掲載いたします。

輝く光

話題の未来予測本を読む

各所で話題になっている齊藤元章氏の「プレ・シンギュラリティ~人工知能とスパコンによる社会的特異点が迫る~」を読みました。

あと数年から数十年の単位で人類はこれまでの生命史の中でも例の無い「特異点」を迎え、その結果「衣食住」の全てがタダになり、働く必要が無くなり、さらには不老不死を得る可能性すらあるということを主張する内容の本です。尚、本書は同著者の前著「エクサスケールの衝撃」の抜粋版という位置づけになっています。

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シンギュラリティ(技術的特異点とは)

シンギュラリティとは、次世代スーパーコンピュータ(エクサスケールコンピューティング)及びそれによって開発される人工知能の知性が、人類の知の総体を大きく超えることと、それに連なる技術革新によって人間の能力と社会が根底から覆り変容する、「特異点」のことだとされています。その時期に一気に推し進められることになる「無数の研究と開発」によって現在の我々が想像も出来ないような新技術が一気に実現し、人類史どころか生命史上最大級の変化が起きると説くのです。

「プレ・シンギュラリティ」とはその特異点の前段階特異点とも呼べるもので、前段階とは言えその変革の内容と規模はとてつもなく大きく、我々の生活や人生観を根本から変えてしまうほどのインパクトを持つそうです。そのプレ・シンギュラリティがもうそこまで迫っているぞ!ということを著者は繰り返し主張します。(著者の主張によれば2030年頃)

輝かしい実績を持つ著者

これだけ聞くとただの奇想や楽観的未来予想のようにしか聞こえませんが、問題は著者の経歴です。著者は世界スーパーコンピュータ・ランキングの消費電力性能部門で自社開発のスーパーコンピュータが1位~3位を独占するという輝かしい実績を残しているいわばスパコンの専門化です。

スパコンの今後の進化と有用性を誰よりも知り得る存在である著者が人類は近い将来「不労」(働かないこと)と「不老」(死なないこと)を手に入れることが出来るとぶち上げたため大変な衝撃を持って受け止められているわけです。

夢の理想社会実現の道程

著者の主張によれば、その夢のような世界が実現する順序は以下の通りとなります。

エクサスケールコンピューティングの実現

まず近い将来エクサスケールコンピューティングと呼ばれる次世代スーパーコンピュータが日の目を見ることになります。そもそもエクサ(Exa)とはペタ(Peta)の1,000倍にあたり、日本語では100京と表現される単位です。

そのすごさは、2011年にスーパーコンピュータ・ランキングで世界一となった日本が誇るスパコン「京(けい)」の処理能力の100倍という処理能力を持つものになるとのことです。

エネルギーがフリーになる

その圧倒的演算能力を活かして超効率的な太陽光発電の実現や、太陽光では無くその熱から発電するための「熱電物質」の解明及び発電法の確立が可能になります。

また、「重油産生藻類」と呼ばれる、光合成によってバイオエタノールを産生することが可能な藻類を利用しての有機燃料の生産、蓄熱物質を解明することで期待される、地熱を効率的にエネルギーとして使用する技術の確立、さらには各家庭単位で導入可能なほど簡易でコンパクトなレーザー核融合炉の開発及び利用などの数々の夢のようなことが可能になると言います。

つまり現在主に化石燃料に頼っている「エネルギー」がタダになるといいます。

衣食住がフリーになる

エネルギーがタダになってしまえば、後は将棋倒し的に怒濤の変化が起きます。

現在でも太陽光を用いずに人工光で工場栽培する野菜類があることから分かるように、タダでふんだんに利用できる電気を使って、最初の設備投資と管理する人件費等を無視すれば、野菜や穀物がこれまでの露地栽培とは比較にならない効率で、安定的にしかも高品質でなおかつタダで作れるようになります。

野菜や穀物がタダで作れるようになれば、それを餌にして育つ家畜もタダで飼育することが可能になり、畜産物もタダで得られるようになります。

また天然繊維(植物由来・動物由来とも)も科学繊維(重油由来)もその元の存在がタダになっている訳ですから、そこから作られる衣料品もタダになります。

また、先ほどの太陽光を用いない植物工場は積層させることも可能であり、畜産も工場化することが可能になるため地球上から農地や牧場は不要になるか、極めて小さな面積しか必要としなくなります。つまり土地が圧倒的に余るようになります。有り余るものの常で、土地の価格は限りなくタダに近づいていきます。

こうして「衣食住」の全てがタダになり、その当然の帰結として労働の必要が無くなります。

著者の主張はこの後さらに発展し、お金がいらない社会になる、犯罪も戦争も無い世界が実現する、果ては不老不死を手にする、と限りなくユートピアに近づいていくことが主張されるのですが、衣食住がタダになるということろまででも充分に驚きでありそこまででも実現されれば本当にすごいことです。

理想は結構だが実現可能性はあるのか

そう、本当にすごいことなのです、実現されさえすれば。問題は本当にそんなことが起こるの?ということにつきます。恐らくこの本に書かれていることを信じられるかどうかで、本書に対する評価はまったく変わってくることと思います。

信じられた人は「なんてすごいことを教えてもらったんだ!明日からの人生に希望が湧いた!シンギュラリティ万歳!」となることでしょう。月のマグマ自身もこれが全て実現したら、否、一部だけでも実現したらどんなに素晴らしいことだろうと思います。

しかしながら月のマグマの感想は「微妙」というのが正直なところです。

正直微妙な感じの印象

微妙な印象の理由

微妙と感じた理由を以下書いてみたいと思います。まず言えることとしては、先ほども信じるか信じないかだ、という書きかたをしましたが、本書に書いてあることを信じるか信じないかということは宗教と一緒で、教祖である齊藤氏の主張を信じるか信じないかということに過ぎません。

我々一般人にとって、先ほどまでに紹介した「衣食住」がタダになるまでの課程はどの場面をとってもあまりに専門的過ぎて検証の仕様もありません。

次世代スーパーコンピュータの開発現況と進化の見通し、ムーアの法則で知られる半導体の進化のペースが今後も続くのか否か、太陽光発電の超効率化や蓄熱・重油産生藻類利活用・レーザー核融合炉の実現可能性等々余りにも手に余ります。

たまたまどれかひとつの分野についての専門家であっても、ここで語られている内容はあまりに広く、その全ての実現可能性を検証・評価できる人などこの世に何人いるでしょうか?となればここに書かれていることを信じられるかどうかは、著者を信じられるかどうかで判断するしか方法は無いことになります。

選挙の時に、候補者が公約として示す政策課題の内容は判断しかねるので、取りあえず人柄で投票先を決めるという行動と似ています。

月のマグマも例に漏れず、ここに書かれた数々の技術分野の内で自ら検証できるものは一つもありません。そのため著者を信用できるかで評価せざるを得ない典型的な読者の一人です。そしてその結論が「微妙」というものにならざるを得なかったのです。

ゴーストライター使ってる?

そう思ったまず最初の理由が本書の文章です。さきほども書いた通り月のマグマは本書で触れられている技術等において、覚えのある分野はひとつもありません。ただ、こと文章に関しては人並み程度に読書はしていますので、その文体や癖、文章の巧拙といったことには自然と注意がいきます。

そんな観点で本書を読んで感じたのが本書の前半と後半で文章の雰囲気というか味わいが明らかに変わっていることです。もっと直接的に言うと本書は前半は素晴らしいのですが、後にいくほど面白く無くなり、面白く無いばかりか文章もどんどん読みにくくなっていくのです。

まるで別人が書いたのでは無いかと疑いたくなるレベルです。

前半は大変素晴らしい

序盤から中盤にかけての本書は本当に面白く、刺激的で素晴らしい出来映えです。恐らく月のマグマは本書が第4章第2項の「『お金』から解放される」あたりで終わっていたら間違い無く齊藤元章信者になっていたと思います。それ位素晴らしく面白かったのです。

実際本書を読み始めてすぐに私は、「すぐにでもこの本をもう一冊買って実家の両親にプレゼントしよう。」とまで思いました。そして、「長生きした方がいいよ、素晴らしい未来がそこまで来ているらしいよ」と伝えようと本気で思いました。

「エクサスケールの衝撃は10年後にもやってくる!」とまずブチ上げた後で、その根拠を積み上げていく構成がまず素晴らしいです。現生人類が25万年前に誕生してからの時間軸で狩猟・採集生活から農耕・牧畜を行うようになり、文字・言語・貨幣といった文明を手にしていった課程、そして産業革命、情報通信革命といった人類史上の変革点をタイムスケールの中でおさらいしていきます。

この部分の文章が素晴らしく良いのです。先にエクサスケールの衝撃というこれ以上ない予告編を見せられてしまっている期待感もあってのことでしょうが、こんなにワクワクして文章を読んだことは久しぶりのことだと思います。

そして著者である齊藤氏が物心をついた1970年前後の日本の風景を描くのですが、これがまた素晴らしい。日常生活のディテールまで実に生き生きと描かれており、そこにストーリー性は無く、挿絵すら無いにも拘わらず、三丁目の夕日の映画のような風景が見てきたかのように私の脳裏にはっきりと浮かびました。

そして著者はこの伏線から導き出した主題として、火の使用や貨幣の発明などの人類の発展を促してきた変革点というのは、最初は実に緩慢に数万年に一度というスピード感で訪れていたものが現代に近づくにつれて加速度的に短期間に現れるようになり、今後も加速し続けるということを説明します。

これはすごく納得できました。

それまで穏やかな推移だった現象が、ある時点を境に指数関数的にエスカレートしていく様というのは誰しも何かしら既視感のある構図であり、「起こりうるだろうな」腑に落ちるものでした。

そして、「まずエネルギーがフリーになる」です。もう胸躍らせながらページを繰る状態です。食糧がフリーになるくだりで、著者がそれまでに環境との共生とか生物多様性への配慮みたいなことを強調する割には養殖魚や家畜などは本来の成育環境とは似ても似つかない完全管理の工場などで飼っちゃうのね、という程度の違和感は覚えつつも大変興味深く読み進めました。

先の見えない不安な森20170414

徐々に雰囲気が変わってくる

なにか雰囲気が変わって来たな、と思い始めたのは労働から解放された人類がどうなっていくのかに筆が及び始めるあたりからですが、第4章第3項で異変に決定的に気がつきます。

「すべての個人が、あらゆる可能性を追求できる社会の実現」とか「個人の尊厳と基本的人権と生活が守られ、夢と希望と生き甲斐を持って生活できる社会」といったにいかにもキレイキレイで実存性を感じられないワードが頻出するようになり、嘘くさくなってきます。平たく言えばつまらなくなってきます。一気に説教臭くなってくるのです。

ここまでで、あまりにもその文章の雰囲気の違いに、前半と後半のどちらかは別の人が書いているんじゃないか?という疑念が浮かびまずひとつの信用が傷つけられました。そして5章で一気に著者のパーソナリティへの疑念が膨らむことになります。

マッドサイエンティスト疑惑

第5章がはじまると「あれ、この人ひょっとしてマッドサイエンティストじゃ無いの?」という疑念が膨らむようになります。第5章の章第は「人類が『不老』を得る日」です。この章では一人のアメリカ人女性のことが取り上げられます。20歳にして早逝したその女性について著者は章の冒頭こんな言葉で表現します。

力強く輝いていた希望の星の光が消えた日

2013年10月24日、この宙から1つの星の光が消えた。それは、満点の夜空にある無数の星のなかにあっても、最も力が強く輝いていた希望の星であり、我々人類にとってはきわめて大きな、おそらくは有史以来、最も大きな星であったはずである。

これを読んでどう感じたでしょうか?現代アメリカにマザーテレサやナイチンゲールのような人物がいただろうかと思い当たるところを脳内検索したのでは無いでしょうか?しかし、ここで紹介されることになる女性はそういった類の人物ではありません。

その女性は原因不明の成長遅滞によって1歳の状態で身体も精神も成長が止まってしまい、そのままの状態で20年間を生きて、最終的には「気管支軟化症」という病を原因として20歳の若さでこの世を去った人物です。特筆すべきは彼女は遺伝的な異常などは一切認められず、低体重児で出生したことを除けばまったく普通の新生児として1歳になるまでは成長し、そこでぱったりと成長を止めてしまったというところです。

著者は彼女のその特性に人類の不老への可能性を見いだします。すなわち彼女が1歳の段階で止まってしまった原因をつきとめて再現方法を解明できれば人間を任意の年齢の時点で成長を止め、その後加齢しないつまり不老不死を実現できると考えたのです。

すべての人間にとって、否すべての生命体にとって最大の恐怖である死への歩みを止めたいと思うことは自然なことです。また、科学者にとってはそのあらゆる生命体にとっての最大関心事への重大なヒントと症例が存在するとなれば興奮するのも無理はないとは思います。事実著者はその興奮を隠そうともしません。曰く彼女の存在は「我々人類全体にとっての奇跡」であり「全人類にとっての女神」であり「救世主ともいうべき存在」とまでいいます。

ただ少し考えてみてください。授かった我が子の成長が1歳で止まってしまい、その後20年間生きながらえてはいるものの、1歳児の外見と精神状態で居続けているとしたら親御さんはどう思うでしょうか。

もしそれが全人類にとってかけがえのない存在であったとしても、人類史に輝く奇跡の人であり、全人類の希望の光ですと言われても、その運命を快く受け入れらるものでしょうか?月のマグマは疑問に思います。

事実家族の方は彼女を心配してあらゆる権威ある病院を受診し、原因を究明しようとしています。しかし結局原因は不明のままでした。そんな彼女とその家族への配慮や惻隠の情が、著者の文章からは感じられないのです。ただひたすらに、彼女という存在がもたらした不老不死への手がかりの誕生を僥倖と囃しているように見えて仕方が無いのです。それが私が著者にマッドサイエンティストの臭いを感じてしまった理由です。

シンギュラリティ人民共和国

そして6章になるといよいよ「なんだかなぁ」という感じばかりになってきます。文章も前半部分の流れるようなリズムを失い、とても同じ人が書いたものとは思えなくなってきます。6章では衣食住がタダになり、労働の必要が無くなった人類のその後を描いているのですが、そんな素晴らしい状態になった人類が何をするかと言えばボランティアをするようになるのだそうです。

別にボランティアを否定するつもりはありません。ただそれまでのスケールの大きな変革の過程を経て辿り着いたはずの後のユートピア象が、余りに単純で平板なことにどうしてもギャップを覚え、急速に興ざめしてしまったのです。

また、このあたりから「人や国のために行動する清々しさ」とか「今の時代の労働と比べたとしても、我々はさらに進んで『勤(いそ)』しみ、大いに喜んで『労(つと)』めることになる。」といったどこかの共和国を連想させるような奇異なまでの健全さが目立ち始めます。

そこに住む住民は皆誠実で健全で正直者です。だから犯罪も諍いも無い素晴らしい社会です。というような言説に接すると我々はどうしても、語られるのとは真逆のディストピアを連想する癖がついてしまっているようです。

東京裁判史観登場

そして極めつけはここに来ての東京裁判史観の突然の登場です。別に誰がどんな歴史観を持っていても自由です。また適切な場でそれを表明することも表現の自由の許す限りにおいて大いにしてもらって結構だと思います。

しかし、著者は本書の序盤からことあるごとに日本こそがエクサスケールコンピューティングの開発に成功して世界に範たるべきであると説きます。またこの終章ではご丁寧に「日本人が次世代スパコン開発で世界をリードすべき理由」という項目を設けて日本人の美点を事細かく語ります。

曰く「開発を実現する力と実績」、曰く「成果を応用する力」、曰く「正しい方向に使用する道徳観念」、曰く「平常心を保つ力」、曰く「利他の精神と、無限に分け与える度量」等々です。そして結論部です。「日本人がリードすべき理由」は、日本は先の大戦で侵略戦争をして周辺諸国に多大な被害を与えたからその補償としてエクサスケールコンピューティングを成功させて、その成功の果実でもって賄うべきだと主張します。

これおかしくありませんか?

それだけ素晴らしい美点を持った国民が何故こと先の大戦でだけはそんな悪の権化と化したのでしょうか?突然変異でもあったのでしょうか?

普通に考えてもしそんな日本人の美点を信じるならば、先の大戦に絡んで日本の仕業とされている数々の悪行に疑念を持つのが自然であり、逆にその悪行を行ったことに疑いの余地が無いのであれば、麗々と語られた日本人の美点など張りぼてだったと結論づけるのが妥当なのでは無いでしょうか。

以上のようなことで、本書の前半に膨らんだ本書の主張への賛意は後半急失速することとなり、著者への信用は全体をならした時には「微妙」という結論になっていきました。

総括

あらためて振り返っての全体を通じた感想は、優れたエンジニアである著者がひたすらにエクサスケールコンピューティングと、そこから期待できる技術革新について書いていればよかったものを、変に政治色のついた提言までし出したことで、せっかくの玉に傷をつけているというものでした。

ただしこれは言うまでも無く科学に暗い月のマグマによる大変一方的な印象論でしかありません。AIに代表される高度なコンピュータ技術の急速な発展は誰の目にも明らかであり、それらが究極的に理想の発展を続けた先には、本書で描かれたような未来もありうるという認識は当然あって然るべきものと思います。未読の方がいらしたら是非とも読んでみることをお勧めいたします。月のマグマも大変面白く読ませていただきましたので。

店の看板に堂々と「ホールディングス」と書く度し難い無神経

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